不自由の大切さ☆

自由に打ったり
自由に投げたり
自由に走ったり・・・

初心者であればその方が良い場合もあります。
しかし、運動能力はここから崩れるような気がします。

すべて自分中心の発想で相手の都合(作戦)などお構いなし!
「自由に」と言えば聞こえは良いのですが
ここでは「自分勝手に」と言う言葉が当てはまるかもしれません。

「強引に引っ張る」
「あの辺に適当に投げる」

これでは「体」と「道具」の使い方が進歩しません。
バットコントロールもボールコントロールも生まれません。
体を自分でコントロールできない状態(^^;)

体の使い方にはどうしても我慢が必要です。

開かないように・・・
センター方向に・・・
低めに、低めに・・・
頭が動かないように・・・

「不自由を作る」

それらを意識しないで自然に出来るようになった時
「何かを掴むきっかけ」が生まれるはずです。

それがいわゆる「感覚を掴む」と言うことであって
それも千差万別のものです!
しかも理解したと思っても、心や体のコンディションによって
ある日突然崩れ出します。

すべてが「真っ直ぐ立つ」と言う事が基本で
「真っ直ぐに立てない」から崩れます。

真っ直ぐ立てないと真っ直ぐ歩けません。
そこに大きな意味があるのですが
理解するのは難しいかもしれません。

「頭が動かないように・・・」
その一点だけを捉えても
意識しないで歩き続けるのは簡単です。
意識して歩き続けることは簡単ではありません。

世の中全てが自由だったら犯罪が増加するでしょう。
組織が全て自由だったら人間関係が崩れるでしょう。
チームが全て自由だったらバラバラで勝てないでしょう!

ルールやマナーを守らなくなってしまい
社会全体の道徳が崩壊することに繋がってしまいます。

「自由の履き違え」が今の時代の象徴です。

靴を揃えましょう!
挨拶しましょう!
感謝しましょう!
道具を大切にしましょう!
時間を守りましょう!
人に迷惑を掛けないようにしましょう!

心を乱すことは簡単に出来ると思いますが
野球のプレーにはマイナス要素です。

「我慢」や「不自由」は人間にとって大きなパワーを生み
生きていく上で重要な事ではないでしょうか?

堅苦しい内容ですみません(^^;)

2 thoughts on “不自由の大切さ☆

  1. 大船渡菅原

    いつも佐藤さんのブログには感銘をうけています。

    自由を履き違えているから、義務を果たさないで、権利ばかりを主張する子供が増えてきているのだと考えています。

    やはりここでも、本来のあるべき大人の後姿をみせる必要があるのだと、思います。

    今の時代、自身を持って後姿を見せられる大人が減少しているように思います。

    私も自分の背中を再度、見てみよう!と思いました。

  2. MFT佐藤

    いつもありがとうございます。
    このブログは自分に対する戒めの部分が大きいかもしれません。
    「口に出すこと」や「文章にすること」によって責任が発生します。

    自分の背中?
    私も見つめ直したいと思います。

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