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こだましあおう

ACジャパンのTV広告ですっかりおなじみになった、
金子みすずさんの詩 『こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

この詩について矢崎節夫さん (昭和22年。東京生まれ。童話作家) という、
「金子みすず全集」を出版された方が以下のように解説しています。

(中略)

こだまとは、“丸ごと受け入れる“ことです。

かつて、私達のまわりにいてくれた、
すてきな大人たちは、こだましてくれる人達でした。

ころんで「痛い」といった時、両親は「痛いね」と、
私の痛さを丸ごと受け入れてくれて、返してくれました。
こだまは、「ヤッホー」といったら「ヤッホー」と
半分の大きさになって返ってくるわけですから、
「痛いね」と返してくれた時、
私の痛さは半分になることができたのです。

しかし、今、私を含めた多くの大人が、
こだますることをしないで、
一方的に否定し、
一方的に励ましてはいないでしょうか。

ころんで「痛い」といった時、
「痛くない」といっていないでしょうか。
すぐに「がまんしろ」といっていないでしょうか。

“このお父さん、お母さんなら愛してくれると思って
生まれてきてくれた小さい人たち“の痛さを否定し、
励ますだけで、一度もこだましてあげることをしなければ、
痛さは消えることなく、生のまま、こころの中の
辛さやさみしさや痛さという器に、押し込めるしかないのです。

そして中学生くらいになると、
その器が一杯になってしまう子がいるのです。

その子が新しい辛さや痛さに出合った時、
もう入れることができませんから、一度、思い切って、
その器をひっくり返して、空(から)にするしかないのです。

そういえば、余震のときに、怖くて泣いていた女の子に寄り添って、
「こわいねぇ、こわいねぇ」と言ってあげていた女性がいました。

自分の中に、こうしたい、ああしたい、という気持ちが強くて余裕がないと、
否定や批判から会話に入りがちになってしまいます。

子供に対してだけではなく、お年寄りや周りの人に対しても、
こだましてあげる、相手の気持ちに寄り添ってあげる…
そんな心のゆとりを持ちたいなと、 改めて思います。

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