今ある「命」が当たり前じゃないことを知れば
粘り強く子どもと向き合えるのでは?
野球が上手いとか、下手だとか
勝ったとか、負けたとか
それ以上に大切なもの・・・
子どもがいるいないにかかわらず
「子どもの命」と「自分の命」について
考えることができると思います。
初心にかえって、ご一読ください。
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助産師として33年、2600人以上の赤ちゃんの
出産に立ち会ってきた内田美智子さんの言葉
自分の目の前に子どもがいるという状況を
当たり前だと思わないでほしいんです。
自分が子どもを授かったこと、
子どもが「ママ、大好き」と言って
まとわりついてくることは、
奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと
知ってほしいと思うんですね。
そのことを知らせるために、
私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。
そのお母さんは、出産予定日の前日に
胎動がないというので来院されました。
急いでエコーで調べたら、
すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。
胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。
早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。
でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは
大変なことなんです。
普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、
ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって
「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」
と励ましますが、死産をするお母さんには
かける言葉がありません。
赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、
死産のときは本当に静かです。
しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。
そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後
「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。
明日にはお葬式をしないといけない。
せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。
私たちは「いいですよ」と言って、
赤ちゃんにきれいな服を着せて、
お母さんの部屋に連れていきました。
その日の夜、看護師が様子を見に行くと、
お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、
子どもを抱いていました。
「大丈夫ですか」と声をかけると、
「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。
よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、
赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。
死産であっても、胎盤が外れた瞬間に
ホルモンの働きでお乳が出始めます。
死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を
飲ませて止めますが、すぐには止まりません。
そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたら
じわっとお乳が滲んできたので、
それを飲ませようとしていたのです。
飲ませてあげたかったのでしょうね。
死産の子であっても、お母さんにとって
子どもは宝物なんです。
生きている子ならなおさらです。
一晩中泣きやまなかったりすると
「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、
それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。
母親学級でこういう話をすると、
涙を流すお母さんがたくさんいます。
でも、その涙は浄化の涙で、
自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。
「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」
「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」
と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。