避難所と携帯電話やメールのやりとりができるようになり
現地の子ども達の活躍に驚きを隠せません。
南三陸の子ども達は、津波から仲間を救出したそうです。
大船渡の子ども達は笑顔を絶やさないそうです。
傷ついたであろう子ども達に対し
私達が出来る事のひとつとして
避難所の子ども達や野球道具を失った子ども達に
「支援用野球用品」を提供したいと思います。
現在、金曜スクールも活動を中止しておりますが
何とか4月1日(金)には場所を変更してでも
活動の拠点を作りたいと考えています。
スクール生におきましては、被災地の野球少年に
「心」が届きますよう準備をお願い致します。
野球用品であれば何でも構いません。
第一便は4月8日(金)に荷物出しを予定しています。
スクール関係者は直接佐藤まで
一般の方は
〒144-0055
東京都大田区仲六郷2-28-11 2F
有限会社エム・エフ・ティー
支援用野球用品受付係
TEL: 03-5480-2782
お問い合わせは
juku@mft.jpまで
ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
ようやくコメントが出来るまで来ました。
野球用品の支援には、喜んで参加させて頂きます。子供たちにも意味を理解してもらって、自ら行動を起こしてくれました。南三陸町の方々を始め、震災に見舞われた方々が一日でも早く野球をやれるような状況が一日でも早く来る日を祈っています。
今回の震災で初めて、今自分に出来る事を精一杯しようって思いました。震災後、自分の仕事で罵声や非難の言葉を数多く浴びせられ、精神的にも参っていたときに、一部の人から励ましの言葉や差し入れなどを頂き、感極まって言葉も出ませんでした。沢山の人に支えられていることを初めて実感した瞬間でした。
若さゆえ、そんな感覚はほとんど持っていなかったのが、今まででしたが、今回の震災をキッカケに変われた気がします。
たくさんの知り合いから
「協力させてください」と連絡がありました。
本当にありがとうございます。
「小学校の時に使ったグローブがあります」
「バットが二本あるので一本を使ってください」
「今は足が大きくなったので、昔使ってたスパイクがあります」
子ども達からも想いが届いています。
感謝します。
被災地は、まだまだ野球をやれるような環境はありません。
しかし、子どもから大人まで、キャッチボールができれば
笑顔の数も増えるような気がします。
微力ですが無力ではないはずです。
「今出来る事」に、ご協力のほど宜しくお願い致します。
今晩は。大船渡の菊地です。
まだ通信環境は良くないですが、やっとこうして
使えるようになりました。が本当にごく一部です。
私達が住んでいるのは大船渡市の中でも山側。
昨日やっと水道も使えるようになりました。
大船渡の菅原さんが住んでいる地域は大津波の被害
のあった海側の赤崎町。まだライフラインの復旧は進んで
いません。家を失った方も多いです。
北上市の方がコメントされていたようですが、
内陸部と沿岸部では天と地です。
今日息子の洋佑が菅原さんとホームセンターで会ったそうです。
そして菅原さんの中学三年生の息子さんは卒業し、高校に合格
しました。テレビで元気そうな笑顔を見ました。
主人は震災後、消防団で被災地を毎日廻っていました。
その時、次男さんとも避難所で会ったそうです。みんな
元気だとのことでした。
ですが、まだ余震も多く、またガソリンも不足気味。避難所を廻りたくても
安否を確認したくても通信手段もままならない、自家用車を失った人など
想像を絶する状況です。決して、テレビで語られているような美談ばかり
ではありません。
毎日が精一杯。一分一秒がすごく大切で、今自分ができることを行動に移して
います。
でも今日もこうして生きています。野球道具を失った子供たちに支援して
いただけることは、本当にありがたいです。
佐藤さんをはじめ、全国の皆さん、本当にありがとうございます。
頑張っています。
また後ほどコメントします。
今回、被災された多くの方々にはこの場をお借りしてお見舞い申し上げます。
子供たちへの野球用品支援に是非ともお手伝いさせてください。
私のブログでも呼びかけさせて頂きました。
及ばずながら野球用具をお送りします。
子供たちに少しでも元気と希望をお届けできれば!と願っております。
ガンバレ!未来のプロ野球選手たち!
皆様本当に有難うございます。
私の家は失われました、でも命は家族全員助かりました。
皆様の暖かい気持ちに本当に感謝しています。
今は何も出来ません、素直に皆様のお力を借りたいと思います。
こんな事を経験した人間だから、この先できる事や伝えれる事があると思っています。
私の大切な友人も亡くなりました。
一生分の涙も流しました。
でも支えてくれる方々が居てくれるというだけで、力になります。
朝は毎日訪れる事を知りました。
どうせ朝を向かえるのなら笑顔で訪れるなら笑顔で『おはよう』
と、言いたいと思います。
佐藤さん、お久しぶりです。立柳です!!
その節は、いろいろとありがとうございました。
子供たちは、おかげ様で元気にやってます。
今では皆で、佐藤さんのブログを見てます。
3月11日以降、
このブログを見て、佐藤さんのお仲間が大変な思いをされてること…本当になんて言葉をかけたらと考えてました。
また、被災地ではたくさんの方が被害に遭われたこと心よりお見舞い申し上げます。
家は、今は千葉ですが、主人にとって岩手、宮城は故郷なんです。親戚も岩手と宮城なのですが、叔父は、毎日水を通すために被災したのにもかかわらず皆さんの為に頑張ってます。そして、従兄弟は弁護士としてこれからの生活の事について皆さんの声を聞いてます。心配してるのにまだ、自分は全然まし…何て言われて私はハッとしました。毎日涙が止まらなくて、泣いていた私も今では、支援活動しています。本当はとんで被災地へ行きたいです。手を握りしめてあげたい。テレビで、地震後3日目に小5、4年の男の子が
「野球がやりたい!でもグローブとボール流されてないんだ」と言う子供達の顔…野球が支えになるなら…
少しでも、助けてあげたい!!笑顔にしてあげたい!!
だから、
佐藤さん、協力させて下さい。私のできる限り、野球用品を少しでも寄付させてください。
もとをたどれば世界中が家族です。苦しくて悲しい気持ちを今わけあって共に前に一歩進んでいきましょう。このブログを通して、
私に出来る事があれば言ってくださいね。
佐藤さん、東北関東の皆さん、共に頑張りましょう。
佐藤さん、用品などどうすればよいかまた詳しく教えて下さい。よろしくお願いします。
はじめまして、神戸市で少年野球チームの監督をさせていただいております。こさやんです。いつも楽しみに拝見させていただいております。
今回の東日本大震災の被害に遭われた皆様には心からお見舞い申し上げます。
神戸市でも16年前の大震災のあと、ほとんどの公園や学校のグランドに仮設住宅が建ち、野球の練習がほとんどできなかった事を覚えております。
被災した野球少年に少しでも、野球をして頂くために、我が少年野球団で声をかけたところ、バットやグローブ、ボールなどが集まりましたので送らせて頂きます。きっとあっという間に復興していると思います。神戸でもみんなの力で復興しました。