器の小ささ

「ボーク!」

中学生が延長に入り、ツーアウト3塁でボークを取られ
点数を取られて負けてしまったと報告がありました。

「どんなボークだったの?」

聞くところのよると、右投手の三塁へのけん制で
ステップの踏み出す方向が悪かったと言う話ですが
それほど不正なものではなかったと関係者は教えてくれました。

その生徒は、直後に審判を睨みつけ
マウンドを蹴って怒りをあらわにしたそうです。

「何だその態度は!」

審判は怒りを覚え、その子の通っている学校や
親にも回りまわって届くように
「どんな教育をしてるんだ!」と抗議したそうです。

皆さんはどのように考えますか?

私の周りのプロ経験者のほとんどが

「いいねぇーそのくらいの気の強さがないと!」
「将来楽しみだねー」

プロの世界でも「ボーク」はつきものですが
変なタイミングでボーク判定を言う人は決まって同じ人(^^;)

最終回の攻撃中で、どちらとも言えないハーフスイングで
「空振り」と判定し試合終了!

現・巨人軍原監督の引退試合で三塁を守る原さん!
1アウトランナー1塁で5-4-3のダブルプレーで
一塁が微妙なタイミングで「セーフ!」と判定する審判。

審判も人間!
しかし、どれも味がありません!

その中学生は野球に対して一生懸命取り組んでいます。
素直で人の話を良く聞いて実行しています。

なぜ、そのような態度を取ったのでしょう?
その原因は?

私は「人の何倍も一生懸命だから!」

そう判断します。

指導や教育って何でしょう?

警察の取り締まりではありません。

子供の野球です。

延長に入るまで一生懸命投げていたのです。
それまでの頑張りは否定できません。

ゲームを左右するそのタイミングで「ボーク」と
判定するのも教育!

試合後に「あれはボークを取られてもおかしくないよ!
しっかり踏み出すように!」
それも教育!

「どんな教育をしてるんだ!」

そう学校に訴える審判の器の小ささに
愕然としました。

5 thoughts on “器の小ささ

  1. 馬場

    私も子供たちには「生意気さを」求めています。
    大人のイエスマンにはなってほしくないです、指示待ち人間にはなってほしくないのです。
    大人が教育や、躾としょうして、子供を押さえつけるのには、かなりの抵抗があります。
    まるで子供と同レベルであるかのように、子供の言葉や行動に反応をする、親が多いように思います。
    多少「小生意気」の野球少年が大好きな大人の一人です。
    余談ですが
     我が家では最近中二になる長男が親父より先に、
    野球に関しては、自信満々で、小生意気な次男に対して、説教をしています。
    親父は楽になり、遠めでその光景を眺めています。
    それは、子供は我々大人の感覚の遥か上を行くスピードで成長していると感じられた出来事でした。
    馬場

  2. Fc魂

    いつもありがとうございます。
    私が思うに教育とは…
    【共育】であると思います。
    指導者・親御さん・子供達がそれぞれ
    「共に育つ」ものであり、どちらかより一方的に
    押し付ける性質のそれではないように思います。
    さて、今回の題材である中学生ボーク事件…
    私も長男の中学クラブチームでちょくちょく球審
    あるいは塁審をさせていただいておりますので、
    結構身につまされる問題であると言えます。
    さて私だったらどうしたか…?
    極論ではありますが、私は少年野球あるいは中学野球
    に関しての【教育的指導】は【あり】だと思っています。
    シロ・クロだけでなく、そこにグレーゾーンが介在しても
    いいのではないでしょうか…?それには周囲の大人達の
    度量・器量が必要な事は言うまでもありません。
    子供達は未来の日本を背負って立つ【宝】です!
    我々大人は、温かく見守る事が必要だと思います。
    特に野球という競技は、得点を重ねていく競技です。
    いちいち失敗やミスを指摘して、減点していく競技では
    ないのです。
    そこに携わる大人のみなさん、気を付けて下さい!
    「あなたが主役になっていませんか?」
    「主役はあくまで子供達ですよ!」

  3. MFT佐藤

    皆と同じ横並びタイプが安心と言う方も多いようですが
    食うか食われるかの勝負の世界には残念ながら不向きです。
    男の子は負けず嫌いで、ちょうど良いでしょう!
    真面目な子は、その特徴を生かせば良いだけです。
    今回の一件は大きな問題ではありません。
    試合前から問題があったわけではありません。
    日頃の学校生活において問題のある子供でもありません。
    学校に無記名で投書したそうです。
    正々堂々と名を語れないなら、しなきゃいいのに・・・
    「原因」がハッキリしているのに、一時的な感情で投書したのでしょうが
    大人はもっと悪い事をたくさん経験しているのでは?
    この程度で許せないとしたら?
    「共に育つ」という事を理解していないと
    大人と子供は同じ空間に立てないと思います。

  4. 野球道

    いつも興味深くブログ見ています。
    今回のボークに対する審判と判定を受けた選手の行動についてですが、選手の気持ちは痛いほど分かります。自分の経験からして、ボークの判定に対してあからさまに態度に出せるだけの自信があるんだと推測します。それだけの子なら、自分でボークかどうかは分かるはずです。それだけの練習と努力をしてきたはずですから!
    一方、審判ですが「そんな場面でボークを取らなくても」明らかなボークならやむ得ないと思いますが、重箱の隅を突っつくような判定は場面が違うと思います。見逃す訳ではないですが、そこは「なりゆき」としてプレーを流して、試合後にアドバイスをするのがふさわしかったんではないかと思います。
    いい意味で「空気を読む」事も大事だと思います。特に少・中学生の課程では審判の力量をいかんなく発揮するのではなく、育成を念頭に周囲の大人達は振る舞う必要があると感じます。
    これからもブログ楽しみにしています!

  5. MFT佐藤

    やはり大人の役割は大きいですね。
    子供の能力を引き出すのも潰すのも、そこに存在する大人次第!
    考えてみると「子供が好き」じゃないと少年野球には関われませんね。
    しかも自分の子供だけではなく、すべての子供を・・・!
    主役が子供ではなく、自己中心的に行動してしまう人!
    チームで何かと問題を抱えている人!
    その人達は野球は好きかもしれませんが、子供の事が本当の意味で嫌いなのでは?
    そう疑ってしまいます。
    野球道さんのおっしゃっている「大人の振る舞い」!
    ドキッとした言葉でした。

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