このブログで良く使われる言葉の
「怒鳴る」
「イライラ」
そして「自分磨き」
何でも「人のために」と言うと聞こえは良いが
その犠牲心は、普通の人間は長続きしない。
結果的に人のためにと言いつつも
相手に不満が募り、結果的に「イライラ」してしまう。
冷静に考えれば「自己中心的発想」に行き着いてしまう。
人のためにと言いつつ、その相手に「イライラ」しているのは
つじつまが合わないのではないだろうか?
これは、ほとんどの人がそこに陥ってしまう。
私も同じ・・・
「イライラしちゃダメですよ」と私が言っても
「そんな事はわかってるけど、イライラしちゃうんです」と答える。
それを「わかっていない」と言うのかもしれない(笑)
「自分のために」と言うと聞こえは悪いが
損得の勘定はしないので、何かの見返りを求める必要もない。
これは意外に楽しいし、長続きする。
そして何より「ありがとうございます」と言う言葉で満ち溢れる。
うまく説明できないが、不思議な現象だ。
子どもの結果で一喜一憂
子どもの結果でイライラ
これでは大人として、子どもを守る立場として
ブレまくっているのではないだろうか?
そこに焦点を定めて少年野球を見ているの人は
「気づいている」ので違和感があっても当然だ。
あくまで子どもの世界に大人がのめり込むのは
どうかと思う。
バッターボックスは、その子の世界。
マウンドも、各ポジションも同じだ。
土足でズケズケと上がりこみ、「あ~しろ、こ~しろ」では
相手と戦う本能は生まれない。
怒られないように、怒られないように
人の目を気にしてばかりの性格になってしまう。
良い指導者の条件はたくさんあるのだろうが
子どもを「見守れる人」
子どもに「勇気を与えられる人」
だと私は、思う。
怒鳴っても
イライラしても
そこから指導は、何も生まれない。
「自分磨き」
これは本当に楽しいですよ♪
「罠」
うーん、難しいですね
「過ち」ではなく「罠」
いったい誰が仕掛けたのでしょうか?
人生における試練の一つ?
その「罠」に陥らないために大切なことが
「自分磨き」につながるのでしょうか?
鉄五郎さん
仕掛けたのは誰なんでしょう?
わかりません。
「自分磨き」をすれば、たぶん・・・
その罠の仕掛けをが見えてくると思います。
複雑に絡まった仕掛けの糸を見ると
たった一本の糸であることがわかります。
な~んだ、こんなことか・・・
私の場合はそんなイメージですが
上手に説明できません。
すみません。
答えは、一人一人違うと思うので
「自分磨き」を楽しみながら、ぜひ見つけてください。
みなさんが置かれた立場や環境によって
一人一人に違う役割りがあるはずです。
こんにちはいつも楽しみにブログ読んでます。
先日、素振り練習というものを目にしました。そのとき思ったことです。
子ども達は与えられた回数を黙々(だらだら)とこなしていました。
そして
『お前達、声が小さい、後10本!』
『ちゃんと振らないか、馬鹿やろー』
等、叫ばれていました。
けっして楽しそうな光景には見えません。
集中してやっているようにも見えません。
私はせっかく野球を好きではじめたのだから楽しまなきゃ損!
と思っています。しかし現実は違います。
最近子どもたちを見ていて感じることは、
大人に怒られるから,罰があるから練習するの?
野球が好きだから、うまくなりたいから、それが楽しいから練習するんでしょ?
と疑問に思ってしまいます。
子どもは、監督やコーチや親の駒ではありません。
怒られるから、罰があるから練習をこなしても絶対面白くないと思います。
打てないから素振り500回やれ!と言われてやるのではなく、
こういうことは自分ですることではないのでしょうか?
無駄な回数をやっても自分の体を痛めるだけ、
集中できる回数を自分で決めてやる!
いろいろな練習方法を考えることが一番面白いし、
やりがいがあると思います。
練習方法が分からないという子に、
どういう練習方法があるかそれを示唆し一緒に考えてくれるのが指導者ではないでしょうか?
どうか指導者、大人の方々は是非そのやる気スイッチを押してあげてください。
わたしは「楽しむ」=「ふざけてやる」は、成り立たないと思っています。
野球に真剣に取り組むからこそ、『野球を楽しむ』ことができるのではないでしょうか?
個を無視した軍隊のような必要以上の練習、休みを、考える時間を、与えないスケジュール。
勝利という目標のために全てを犠牲にさせる体質、親や指導者の過度の期待と加熱。
このまま、野球をハードに続けていると、
子ども達はいつのまにか誰のために野球をしているか分からなくなります。
最近、野球を自分の為にやってない子ども、怪我をする子どもが多いです。
これでは絶対楽しくないはずです。
野球の練習はかなり厳しいけれど、
野球が好きだからこそ、それを乗り越えて練習ができる。
そして野球を楽しく、笑顔でやれるからこそ、
『声出せ』といわずともチームに必要な明るい声が出てくる。
私は、『必ずしも黙々と耐えることだけが練習ではない!』
と思っているので、そういった大人の環境作りが大事なのではないか
と改めて考えさせられました。