子ども達の自立が始まると
「こうやって打ちたい」
などの感覚が芽生えてきます。
その感覚は、のちに生かされるのですが
スクール生の多くは、チームに戻ると
「それじゃ、ダメだ!」
と言って注意をされるようです。
その多くは肝心な動いている部分ではなく
「構え」などの静止している部分で
「バットはここに構えなさい」
「両脇は閉めて構えなさい」
「足を上げて打ってはいけない」
「ノーステップで打ちなさい」
などと言った、本来は選手が
好きなようにプレーして構わない点に
反応する指導者が多いように思います。
その先にあるミートポイントや
トップに良い影響を与えるために
「シンプルに、ここに構えたほうが良いのでは?」
と言った提案は出来るのですが
子ども達が
「ここが良い!」
「この方がやりやすい!」
と言うのであれば
まずは好きにやらせて上げて欲しいのです。
本人の「感覚」はとても大切で
誰かの命令だけをたよりに
すべて型にはめられてしまうと
「感覚」は生まれてきません。
感覚の芽生えている子どもに対して
「こうやりなさい!」と指導者が言えば
子どもは疑問を感じてしまうでしょう。
そしてそのことを
「あいつは素直じゃない!」
「俺の言うことを聞かない!」
となり、酷くなると試合に使わなかったり
ベンチから外すなどの行為になります。
チームの方針や約束事などを
守れないのであれば、これは大問題です。
しかし技術の分野では
もっと子どもの思うままに
プレーさせて欲しいのです。
プロ野球選手の多くは、ジュニア世代で
「あまり触られていない」
と言う特徴を持っています。
指導者は、子ども達が
「頑張りたくなる環境」を作ることが
大きな大きな役割りです。
ジュニア期は、未完成だからこそ
少し先で成長できるのです。
猛練習や、型にはめた指導は
「今」は一時的に効果があるのですが
「先」で「伸びしろ」が生まれません。
ここが盲点です。
いつもブログを拝見して、勉強させて頂いております。
三度の飯より野球好きの息子が、初めて暗い表情で練習から帰って来ました。手のひらには破れた血豆、皮が剥けて所々に出血…
毎日の素振りでコツコツ作った豆とは明らかに違います
原因を聞くと、1年生の声が足りないため連帯責任で全員で素振りを1000回させられたの事
バットはおろか、お箸を持つのも痛い状態
これって体罰ではないか?
自分のペースもなく、むやみにバットを1000回振れば、子供は声を出すようになると考えているのか?
何故、声を出さなくてはならない理由を言葉で教えてくれないのか?
このブログを読みながら、恐ろしいと感じていた事を目の当たりにしたようです
しかも子供は、自分達が悪いのだから仕方がないと考えている様子
それでも、このチームが大好きだと言う息子に理由を尋ねると「仲間がいるから」という答えが返って来ました
理不尽な指導に、一緒に耐える事で芽生える仲間意識なんて、まるで軍隊のように感じました
時代錯誤もいいところだと思いますが、チームに苦情を言えば、モンスターペアレントと、新しい言葉で片付けられてしまうのでしょう
チームに、怪我を負わされたと考えるのは大袈裟でしょうか?
S次郎の母さんへ
率直な感想は、いまだにこのような指導をしていることに
驚きを隠せませんが、「これがチームの方針です!」
と言われれば、残念ですがそれまでです。
声が足りない~
連帯責任~
素振り1000回
これで上手くなることはありません。
しかし残念なことに
方法論を知らなければ、このスタイルで
上手くなると思っている大人は意外に多いのでは?
この指導方法は
「水を飲んではいけない昭和の時代」のものです。
しかし、チームに預けた以上は
理不尽ですが、見守るしかありません。
彼から笑顔が消えないように
笑って過ごせるか
彼の耳に不満の声を届けるか
大きな別れ道なのかもしれません。
S次郎は大丈夫です。
野球が大好きですから・・・
コメントありがとうございましたm(__)m
何度なく、「見守る」という作業の重大さと難しさに向き合わされるものですね
初めて、息子が自分で選んだ道
親も日々勉強して行かなければ!
「野球」に感謝です