少年野球の最大の目的は「青少年の健全育成」であり
優先されるべきは、「勝つこと」ではなく「人を育てる」ことです。
時代の流れで、指導スタイルも大きく様変わりしました。
「俺たちの時代は・・・」ほど危険なものはありません。
「体罰」を批判する人が多い中、体罰はしないものの
「言葉の暴力」により、子ども達を傷つけていることに
気がつかないのは、あまりにもレベルが低すぎます。
それは恥ずかしい行為です。
チームに携わる大人が見て見ぬ振り・・・
「ボランティアだから・・・」
「もめたくないから・・・」
「そんな勇気は・・・」
一人では立ち上がれなくても、同じ考えを持つ勇気ある大人は
必ず近くにいると信じています。
命を落とさずとも、子どもの心を傷つける大人が
「子どもの為に厳しく」と称し、傲慢な態度で野球に
そして子どもに向き合っている大人を
許せる時代ではありません。
指導方法を学んでください。
言葉の暴力も犯罪です!
「俺たちの時代は…」、この言葉で約二年前の出来事を思い出しました。
公式戦(少年野球)を明日に控えた、その前日の練習試合での出来事です。
終了時間がきたので、7対7の引き分けだと思ったのですが、両監督の相談の結果、延長戦になりました。
試合の結果は覚えていませんが、ピッチャーの起用についてはハッキリ記憶してます。
相手チームは、いいペース配分で三人のピッチャーを登板させました。
かたやウチのチームは、たった一人のピッチャーに約120球も投げさせました。
(くどいようですが、本番前日の練習試合です。)
普段、監督にはあまり言いませんが、この時ばかりは、さすがに言いました。
「なんで練習試合なのに、一人のピッチャーに120球も投げさせたんだ。小学生の体の事を本当に分かってるのか?それに、他のピッチャーの練習にならないじゃないか!!」
こちらは、怒り心頭です。
で、当の監督が言い放った言葉が、少し離れたあるコーチに向かって
「〇〇コーチ、こんなのは俺たちの時代では当たり前だったよな−。」と、特に気にもかけずに。
前から呆れてたけど、あの一言で怒りを通り越して、阿呆くさくなりました。
そのチームは、今もその監督でやっているようです。
卒団してから、一度も見に行ってないので、どうなっているか分かりませんが、なんとなく想像できます。
先のバスケ部員が自殺した問題の件で、桑田真澄さんが、共感出来る話をたくさんしていました。
その内の一つとして、「…小さいうちは、勝利至上主義ではなく、育成主義でいかないと…」
全くその通りだと思います。
今回、痛ましい事件で、一人の若い命が途絶えてしまいましたが、こういう時にこそ、「子供の心と体」「家庭」「教育」「指導」等を、根本から見直すべきではないでしょうか!
ぼく太さん
コメントありがとうございます。
「水を飲むのは悪」の時代から、いつしか変化した「時」と同じように
今回の問題が変化の「時」であると思っています。
監督やコーチと名乗る以上、学ぶ義務が発生します。
大切な子どもを預かるという意識を持ち合わせていないと
なかなか学ぶ姿勢は芽生えてきません。
指導者としての役割り・目的をまず知る必要があります。
「青少年の健全育成」や、「子どもが主役」と言うことは
たくさんの教材に書かれていることなのですが
最初のこの段階で、ボタンの掛け違いが始まっています。
「勝利至上主義」を捨てれるかどうかが鍵になります。
ここが子どものスポーツ関わる方のスタートラインです。
お早うございます。
「今が変化の時」、確かにそのように感じます。
メディアでも、毎日のように取り上げています。
この機運が一過性でないことを祈ります。
また同じような事件が、起こらないためにも。
そして、今現在、「体罰」や「言葉の暴力」に苦しんでいる子供達にとっても。