山を登っていると、途中すれ違う人達と「こんにちは~」と
気持ちよく挨拶することができます。
「目指す山が同じであること」
「澄んだ同じ空気を吸っていること」が大きく関係していると思います。
その他にも、景色の素晴らしさであったり
苦しい上り坂を共に汗をかくことであったり
時間を共有していることであったり・・・
目の前の大自然を見て、争いごとはバカバカしいので
ほとんどの人が「いい表情」をしています。
「目の前の景色」は精神を安定させる効果があります。
大自然の前だけでなく
日常の景色やグランドでの景色や空気は
人間の成長に大きく関連しています。
家庭、学校、職場、地域、国・・・
どこであっても「イライラ」は最大の敵です。
指導者の最大の敵は
教えても出来ない子供に対して
「イライラ」すること!
親の最大の敵は
教えても、言っても聞かない我が子に対して
「イライラ」すること!
「イライラ」しているから
また「イライラ」することが目の前で起こってしまいます。
「教える」とか「指導する」ということは
この最大の敵である「イライラ」をどうコントロールするかに
かかっていると思います。
子供相手に「技術の失敗」で怒鳴っている方々は
大変残念ですが、自分自身を律する力が劣っている方々です。
私も、毎日格闘中です・・・(^^;)
いつもありがとうございます。
久しぶりにコメントさせていただきます。
私も日々格闘中です。
一を言ったら、一出来る子
一を言ったら、三出来る子
一を言っても、まったく出来ない子
いろいろな子がいます。
頭では十分わかっていますが、それでも「イライラ」してしまう。
その理由は、と考えると・・・
その子(出来ない子)に「一生懸命さ」「ひたむきさ」が感じられないからだと
自己分析しています。
健康な身体を両親から貰い、好きな野球が出来る環境を与えられているのに
なんで一生懸命やらないのだろう?
そんな思いが自分を「イライラ」させているのだと思っています。
「好きこそものの上手なれ」
上手にならない子は、野球を好きではないのだろうか・・・
好きにさせてあげられないのは自分の未熟さだろう・・・
格闘はまだまだ続きそうです。
私も以前は「イライラ」を日常的にしていました。
ある本を読みなるほどと思いました。
鳴かないホトトギスを
①「殺してしまえ」
②「鳴かせてみせよう」
③「鳴くまでまとう」
②.③は論外ですが
③「鳴くまでまとう」もある意味残酷らしいんです、なぜなら、鳴こうと努力をしても鳴けない理由があるとか、鳴くまでに他の者より時間がかかるとか
全て鳴くのを前提にしているので、相手は辛くなると、書いていました。
松下幸之助さんは、鳴かぬならそれもまた良しホトトギス
と、言ったらしいです。
色んなことを伝えても今分かる子、時間が経つと分かる子、さらにもっと時間がかかる子、
いずれは気づくときがくると思います。
なので、今は全ての子供たちをそれを含めて受け入れようと思ってから、練習に行くのがとても楽しくなりました。
指導者がまず練習を楽しむ、こんな単純なことを、任期が終わるこのときにようやくなんとなく気づき始めています。
匿名さん
久し振りのコメントありがとうございます。
なぜ子供に「やる気」がないのか?
おそらく持って生まれたものではなく誰かが奪ってしまったのでしょう!
そしてその奪った原因が大人の「イライラ」によるケースが多々あります。
そう考えると、その子供に気付かせるためにも、一生懸命さや
ひたむきな姿勢で取り組めるようになるためにも「イライラ」しない・・・
そのことが近道だと考えています。
「イライラ」でそうなってしまったものに、さらに「イライラ」向き合えば
たとえが極端ですが「火に油を注ぐ」のと同じです。
できるだけ・・・
何とか・・・
イライラっしないように、一緒に子供たちと向き合って行きましょう!
加速進化さん
コメントありがとうございます。
「許す」 「認める」
難題ですが、私も目指したいと思います。
素敵な話をありがとうございます!