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考えさせられたボランティア体験記

~ 答えを出せないたくさんのことを考えさせられた体験 ~

被災地では、場所によって地元の方のみボランティアを受け入れている所もありますが、人手が足りなくて県外からのボランティアを受け入れている所もあります。

ボランティアに興味があっても、「経験のない人間が行って、かえって迷惑をかけてしまうのではないか」と、二の足を踏んでいる方もたくさんいらっしゃることでしょう。

旅行代理店が企画するボランティアツアーもありますので、そちらを利用されれば、情報もたくさんあり、気楽に参加できます。

知り合いに社会福祉協議会に勤める人がいる関係で、ボランティアに関する様々な情報を得ることができたため、7月29日、30日(2011年)に南三陸の災害ボランティアセンターに行き、ボランティア活動をしてきました。以下の手記がボランティアを検討されている方の参考になればと思います。

■ 事前に準備したこと

まず、最寄りの社会福祉協議会でボランティア保険に事前に入っておく必要があります。

これはボランティア活動中に自分が怪我をしたり、他の人に怪我をさせて損害賠償問題が生じた場合のためです。金額は600円~1,400円で、ちなみに私は600円の保険に事前に入りました。

→  ボランティア保険の詳細

それから、ホームセンターへ行き、 つま先に鋼製先芯の入った安全性を高めた長靴と、鉄板中敷(釘の踏み抜き対策用)、革製の作業手袋、マスクなどを購入しました。

登山用のテントと、10リットルの飲料水、食材、捨ててもいいくらいの古いジャージなどを用意して、28日21時ごろに東京を出発。

予定では、現地について数時間の仮眠を取ってから、初日の活動をするはずだったのですが、「新潟・福島の豪雨」に遭遇してしまい、雨脚が弱まるのを待ちながら移動したために、大幅に遅れて宮城県入り。

さらに三陸道が途中から通行止めで、高速を降りたら北上川の橋が通行止めで、大幅に遠回りをするという様々なことが重なり、結局受付開始時間の9時に間に合わず、29日10時半に南三陸町災害ボランティアセンターに着きました。
(現在は受付が8時30分~9時に変更されていますので、遅れると作業に加われない可能性があります。)

ここには、役所、病院、薬局、郵便局、訪問看護ステーション、ボランティアセンター等、あらゆる町を運営していくための機能が、集中して仮設されていました。

■ 初日(7/29) 思い出探し隊(写真洗浄)

通常は朝の受付に間に合わなければ午後から作業に入るのですが、「写真の洗浄」ならすぐ参加できるということで、11時ごろから作業に加わりました。

「ボランティア」というと、大変な環境の中での重労働をイメージされる方も多いでしょうが、様々な仕事があり、その人の装備や、体力等に合わせて、仕事を割り振ってもらえるようです。

こちらのページで「南三陸町災害ボランティアセンターの活動紹介ムービー」をご覧になれます。

「思い出探し隊」と命名された洗浄作業は、がれきの中から見つかった写真を洗浄し、廃校になった学校に展示をして、持ち主が現われたら本人に渡すという流れになっているそうです。その日は10数人が洗浄作業をしていました。

塩水をかぶり、泥まみれになった写真を1枚ずつ布や筆などを使って丁寧に水で洗い落としていきます。しかし、洗いすぎると、写真の色まで落ちてしまうため、非常に神経を使う作業でした。

■ 思い出がつまった様々な写真

最初に作業したのは、大勢の若い男女が楽しそうに飲んでいる写真でした。

同窓会?

若い人たちの中に、一人少しだけお歳を召された方がいらしたので、おそらく先生かな?
そんな事を考えながら作業をしました。

その他、家族とのふれあいを通して子供の成長を収めている写真、結婚式の写真、いろんな人たちの、いろんな場面の笑顔いっぱいの写真がありました。

家や、家財道具など、全てを失った人たちにとって、例えボロボロでも過去の写真が見つかることは、心のよりどころを取り戻せるかもしれない、大きな意味を持つそうです。

■ ボランティアセンターをはしごする人

同じテーブルで作業をしている方は、1週間休みを取って、初日はいわき市でボランティア!それから徐々に北上して、様々なボランティアセンターで活動して、今日が6ヶ所目だということでした。

「すごいですね?そのような事をしようと思ったのなぜですか?」

「さぁ…、ひまだったから…かな?」

明日は、気仙沼に行くつもりだとのことでした。頭が下がります。

1日の作業が終わり(15時過ぎ)、写真洗浄の場を仕切っている女性の方に話を聞きました。

「作業をしている時は、どんな事を考えているのですか?」

「何も考えず、作業だけに集中しています。
 最初のころは、この人は無事だったろうか?この人の家も流されてしまったのだろうか?
 と色々考えていたら、涙が止まらなくなって、つらいし、作業は進まないし大変でした。
 だから、今は何も考えないことにしています。」

写真の展示
洗浄した写真を展示している学校

展示している学校には毎日たくさんの方がいらっしゃって写真を探し、1日に数人の方がご自分の写真を見つけて持ち帰っているそうです。

その後、南三陸町より内陸にある登米市に車を走らせ、キャンプ場にてテントを張ることにしました。

南三陸で泊まるということは、トイレ等でどうしてもその地の貴重な水を使うことにもなるため、何となく気が引けて、内陸の登米市でキャンプする事を選んだのです。

翌朝は公園に集まったカラスの大群の鳴き声で4時ごろ目が覚めました。

朝食をしっかり摂り、8時にはボランティアセンターに到着。

写真の展示

今日は朝の受付には余裕があります。

ところが、
「降雨・濃霧により、安全確保のため、屋外の作業は9:30まで待機。そのまま中止になる場合もあります」
とのこと。

■ 二日目(7/30) 物資仕分・運搬

「屋外の作業」は中止になる可能性があるが、「屋内での物資仕分・運搬の作業」は受け付けていたため、志津川高校へ行って作業をすることになりました。

ここまで来て何もせず、ただの観光になってしまうのは残念ですよね。働かなくては…

数台の車やバイクでまとまって志津川高校へ移動しました。

志津川高校は避難所になっていて、まだお年寄りの方を中心に学校の中で生活されていました。

■ 一つの役割を終えた体育館…

実はこの日はちょっとした特別な日でした。

全国から集まった支援物資を長らく体育館に保管していたのですが、翌日から志津川高校のクラブ活動ができるようにそれらを片付けて高校の生徒さんに返す日だったのです。

明日から高校生がここで部活動を再開できる!そう思ったら自然に頑張ろうという気持ちになります。

まず床にある物資を「ギャラリー(2階の通路)」に上げる作業です。

「重いから気をつけて」
「これは軽いです」
「ふたが開いているので落ちないように注意して」
「重さに偏りがあります」
「ダンボールがもろくなってます」

荷物に対する注意の声が飛び交いながら、バケツリレーでテンポ良く荷物が運ばれていきます。

ボランティアに集まった方は、 近畿地区生コン関連団体の方や積水ハウスの(仮設住宅を作りに来ている)方など、体力がありそうな人たちです。さらに個人で参加しているボランティアの方を含め、20名くらいで作業が進んでいきます。

皆さんやる気に満ち溢れていて、誰もが率先して動くので、気持ちが良いです。

荷物がほぼなくなったら、ブルーシートをはがしていき、モップがけをした後、最後は水ぶきです。

15時過ぎ、全ての作業が終わり、体育館が見違えるようになりました。

数ヶ月間、支援物資倉庫としての役割を果たしてきた体育館が、その役割を終え、志津川高校の体育館としての役割を再び始める…

こうして時間はかかっているけど、少しずつ復興へ向かって進んでいるのだと思いました。

本来なら、政府の主導の元にもっと早く予算を取り、仕事を失った地元の方を積極的に雇用して復興作業をして、被災地にお金がまわるような形で復興していくべきだと思うのですが、様々な対策が遅れる中、まだまだボランティアの方の協力を必要としている地域がたくさんあるようです。

■ リハビリ?

長期間ボランティアをしている方が、こんなことを言っていました。

「ここに来て、最初は被災された方がかわいそうで、大変だなと思っていました。
 自分がしてあげられることは何でもしてあげたいと思っていました。
 しかし、長い間いるうちに、被災されて気力も何もかも失っている人たちに、
 ボランティアが何でもかんでもしてあげていると、
 いつまでも彼らが自力で立ち上がれないような気もしてきました。
 病気が治ったら、元の生活に戻れるようにリハビリというトレーニングがあります。
 ボランティアの一つの形として、彼らが自立するための
 病気で言うリハビリのような支援の仕方はないのだろうかって、
 そんな事を考えて、自問自答しています。
 でも、もしかしたらそれは被災者にとってすごい酷な事なのかもしれません。」

たった二日しか活動していない人間には、その答えを無責任に出す資格はないでしょう。

考え込んでしまいました。

■ 福興市(ふっこういち)

翌日(7/31)は、南三陸町で4回目の福興市が行われました。

(注)予定があったため福興市に参加しませんでしたが、以下は社会福祉協議会の方の話を元にしています。

この福興市は町の行政機関と地元企業、地元小中学校の子供やその家族、町外から応援する市町村、NPO、ボランティアの方々などが一丸となって創り上げているイベント だそうです。

その中で「ぼうさい朝市ネットワーク」という組織が共催されています。

「ぼうさい朝市ネットワーク」とは、いざ災害が起きた時に有効な支援ができるよう 全国の商店街によるネットワークを作ろうと 早稲田エコステーション研究所の藤村望洋先生により発案・計画された事業だそうです。

災害が起きていない普段から全国各地で何度か「ぼうさい朝市」を開催し、そこに救援物資ならぬ各地の名産品を送ることで、災害が起きたときの救援物資を送る予行練習を兼ね、朝市を通じてお互いの絆を深めていたそうです。

「物が売れることが復興の第一歩」と考え、福興市によって地元の商店街に活気を戻し、商店街の人に物を売ることで生きがいを取り戻してもらいたいという狙いがあり、さらに「必要なものはお金を出して買う意識への切り替え」といった意味も込められているそうです。

写真の展示
地元の小・中学生によるTシャツ販売

南三陸では4月に既に第1回の福興市を行っていて、月に1回、7月の今回が第4回目です。

第1回目のときは地元の南三陸で売ることができるものがほとんどなく、全国の商店街から持ち寄った物で行われた福興市でしたが、4回目を迎え、かなりたくさんの南三陸町の地元の商品が出品されるようになったとのことです。

時間はかかっていますが、少しずつ復興へ向けて、皆さん頑張っているようです。

■ 最後に

報道等である程度想像はしていましたが、自分の目で実際に被災地を見て、町が丸ごとなくなってしまっていることの現実にあらためて呆然としました。

いまだにがれきの山でした…4ヶ月以上経っているのに…

たった二日だけの活動だったのですが、様々な方との会話を通して、答えを出すことができないたくさんのことを考えさせられた貴重な時間となりました。

(2011.8.23)

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