月別アーカイブ: 2016年6月

じっくり育てる

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「教える」と言う分野では
どんなに優れた指導者でも

「その一回だけで」

全てを伝えることは
簡単ではありません。

しかし教えてもらう側は
当然「その一回」を期待します。

教材などの広告に
「あなたも140キロのボールを投げれる」
「あなたもホームランを打てる」
と言った、高額な教材が売れているそうですが

そんな広告の言葉の通りになる教材は
見たことがありません。

もしその言葉が真実ならば
即効性のあるものは、リスクを伴うものです。

 

 

逆に、経験においては
「その一回」で大きく変化する可能性を秘めています。

だからこそ「失敗」と「楽しい」は
子どもの成長においては、必要な経験であり

失敗を繰り返しながら
時間を掛けて育てる「急がば回れ」が
最善の道だと思います。

 

キャンプ情報
http://mft.jp/school_2016campApplication.pdf

気づかない怖さ・・

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子どもをどう育てるのか・・

それは保護者の責任なので
第三者が口を出すことではありません。

しかし、

「親にしか見えないもの」
「親には見えにくいもの」

が存在します。

だからこそ、今流行りの
「第三者の目」の意見に
耳を傾ける必要があると思います。

過去の例から、気になるタイプの子どもがいます。

「簡単なことが伝わらない」
「日々の成長が見えにくい」

この2つのタイプには原因があります。

・親が指導に口を出し過ぎる
・怒られてばかり

の環境の中にどっぷりと浸かっています。

子どもにとっての親の言葉は絶対です。
このタイプの子どもは無意識のうちに
親の言うことしか聞けなくなってしまい
怖いほど無意識で、すべてを受け入れてしまい
反発する力さえ失うのです。

親の言うことを聞かないのが一般的で
そこには自分の意志があり
それも成長過程で必要なことです。

グランドで怒られ
家に帰って怒られ

怒られてばかりでは
野球が好きになるはずがありません。

「上手くなりたい気持ち」
「反発する力」は、親が奪ってしまい
そのことに親は、「子どものため」と
一生懸命なので気が付きません。

その反面、外に向かって「反発」する場合が
あるのも事実です。

子ども自身も親の願い・期待を知っているので
本音を親や第三者に打ち明けることは困難です。

 

「優勝目指して頑張るぞーーー!」
「次は絶対勝つぞーーー!」
「レギュラーを取るぞーーー!」

これは子どもが言うのであれば仕方がありませんが
大人が言う言葉ではありません。

 

異変を感じた子どもに

「どうした~?」
「毎日怒られてばっかりか~?」

すると、突然泣き出す子ども・・

『野球をやめたいです!』
『友達と遊ぶ時間がありません!』

親はまったく子どもの心を知りません。
すべて親があてがった環境の中で
子どもの心は限界に近付いて行きます。

親は子どものために必死なのに
子どものためになっていないのが現状です。

子どもは、「親の所有物」ではなく
子どもの人生は、子どものためのものです。

もっと自由に、のびのびと
腕白でもいい、逞しく育って欲しい!

そんな昭和の言葉を思い出しました。

 

キャンプ情報
http://mft.jp/school_2016campApplication.pdf

自分を磨くための心・・

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「野球は人間がやるもの」

その選手がどんな環境で育ったのか?
そしてどんな言葉を多く耳にしてきたのか?

すべてはそこに集約します。

一人の選手が、何を考えどう行動するのかの答えは
そこに隠されています。

チームという囲いに入った時に
自分中心で行動する強調ばかりの心しかない選手。

自分の思いを押し殺し
調和ばかりの心しかない選手。

その居場所は
風通しの悪い環境へ向かいます。

上に立つ人は、「協調」と「調和」のバランスを
どう整理してチーム・組織・家庭を動かすかが
「指導力」ということになるのではないでしょうか?

少年野球の環境では、
出来ない子どもばかり攻撃されていて
指導者や親の姿は二の次になっています。

そして子どもばかりに結果を求めていると
興味のない情報や、耳の痛い話には
耳を傾けようとはしないものです。

それがおかしいということではなく
人間だからこそ
それが当たり前だと思います。

 

 

恩師からの教えの中に「3つの心」がありました。

素直な心
謙虚な心
認める心

立場は関係なく、この心がなければ
「聞く耳」など持ち合わせるはずもありません。

どんなに素晴らしいアドバイスをしても
どんなに大切な情報でも
どんなに素敵な出会いをしても

成長するための「ヒント」があるのに
目の前をスーっと過ぎ去るだけです。