禅の言葉に「啐啄同時」というのがあるそうです。
読み方はさまざまで「そつたく」「そくたつ」「そくたく」「そつたつ」
とも読まれる難しい言葉のようです。
ここでは「そったくどうじ」と読ませていただきます。
卵の中の雛鳥が、殻を破ってまさに生まれる時
卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい
親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」というそうです。
雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって
殻が破れて中から雛鳥が生まれてきます。
両方のタイミングが一致して雛が無事に生まれること!
それが「啐啄同時」の意味です。
親鳥の判断が一瞬でもあやまると、卵の中の雛鳥が死んでしまいます。
早くてもいけないし、遅くてもいけない。
場所がズレてもいけない。
それだけに危険な一瞬で、啐啄は同時でなくてはなりません。
この言葉から・・・
「子供には年齢にあった教育を!」
野球では・・・
「子供には年齢にあった指導を!」
何が必要で何が必要でないのか?
そのタイミングは今なのか?
子供が自立しようとして飛び立とうとしているのに
いつまでも親が子供の傍から離れない・・・
寂しいから?
それは真逆で、本来は「喜ばしい」ことなのに・・・
野球の世界では
年齢に応じた指導ではなく、早熟の選手を作っています。
まぁ、そんな事を言っているのは私の仲間だけかも(^^;)
親は・・・
子供が自分で考えようとしているのに、先に答えを出してしまいます。
ちょっと危険な壁を越えようとしている時に
良かれと思ってすぐに手を差し伸べます。
この「啐啄同時」という言葉から
たくさんの「学び」があると思います。
橋爪先生!
素晴らしい言葉をありがとうございました。