親子でありながらも
親には親の人生があり
子どもには子どもの人生があると思っています。
親が子どもに依存し、子どもが親に依存していては
それは「自立」の妨げになってしまいます。
親が子どもに対し、過度に期待する光景は
少し違和感を感じてしまいます。
子ども達は、良い子であれば良い子ほど
親の期待に答えたいと思っています。
期待を裏切るような失敗をしてしまうと
ちょっとしたことであっても、自分を責めたり
自信を無くしてしまいます。
この姿は、親も見落としてしまいがちで
子ども自身も、あまり気が付かないので
後々大きな心の問題に発展してしまいます。
親は子どもを追い込むつもりはまったくないのに
子どもは、それが原因で挫折や無気力になってしまう危険性があり
非行に走ったり、荒れてしまったりするケースがあるそうです。
「そんな程度のことで・・・」と思えることでも
子どもにとっては大きな問題に発展し
学校に行きたくなくなったり、対人関係が思うように行かなくなり
命を捨ててしまいたくなるまで、追い込まれてしまいます。
「やって出来ること」
「やったって出来ないこと」
何でもかんでも、「頑張れ、頑張れ」
「やれば出来る」と言うわけではありません。
そこには、「出来ること」
「出来ないこと」の判断が必要です。
私達が、今を何とか生きていられるように
親がした失敗経験を、子どもにさせないように
強くこだわる必要はないように思います。
大人がした失敗経験は、生きていく上で
必要なことであり、大きな財産になっています。
仮に嫌なことだったとしても、マイナスイメージを引きずるより
プラスのイメージに転換して行った方が、運を引き寄せるはず・・・
その根拠は、野球を通じてたくさん経験しました。
「エラーしたあと」
「凡打したあと」
ここをどう考えるかによって、その後の結果が変わってきます。
レギュラーになれなかった
ベンチに入れなかった
すべて小さなことです。
子ども達が、コツコツ頑張ったことのプロセスを
認めてあげてください。
「自分磨き」を継続するために
「子どもに対する期待」は捨てる必要があります。
子供に対して「期待」を捨てることが出来た時
困った時に、親以外の人が手を差し伸べてくれて
真っ直ぐに成長することができるのではないでしょうか。
親が出来ること
親が出来ないこと
全て親がやるには限界があります。
「親の期待」は黄色信号です。
そのまま進むのか
それとも、ブレーキを踏むのかは自由で
運転している大人の判断が求められます。
親が果たせなかった夢を、子どもに託すのではなく
子どもには子どもの夢を、つかんでほしいと願っています。