月別アーカイブ: 2012年3月

宮代スクール開校のご案内☆

埼玉県南埼玉郡宮代町にて、4月23日(月)と30日(月)に
無料体験スクールを開催します。

5月7日(月)より、毎週月曜日に宮代スクール開校とさせていたさきます。
まずは体験スクールにご参加ください。

【開催日】  第2回  平成24年4月23日(月) 

         第3回         4月30日(月)

【時 間】    午後6時~8時

【場 所】    宮代町立百間(もんま)小学校 体育館
          埼玉県南埼玉郡宮代町西原261番地

【参加費】   無料

【対 象】    小学校高学年~中学生
         野球指導者、保護者

【申し込み/お問合せ】メールにて juku@mft.jp まで

【その他】   当日のビデオ撮影はご遠慮ください
         開催場所への直接のお問合せはご遠慮ください。

野球の底力・・・

高校野球の選抜大会・・・

昨日は、石巻工の試合が行われ、テレビ観戦!
いつもは冷静に試合を観察することができるのに
思わず点が入るたびに、大きな声を出してしまいました。

地元は盛り上がり、食い入ったようにテレビを観戦する姿が
ニュースでも取り上げられました。

涙する人、笑顔の人
心配したり、安心したり・・・
それぞれが、彼らの野球をする姿に、心を打たれました。

私の友人達は、甲子園に向かいました。
スタンドは、石巻工を応援する人が多く
いつもの甲子園とは、違う空気だったそうです。

何かを乗り越えた人間は強く
そして感動を与えることができます。

野球の神様は、「乗り越えた人間」には
何かのご褒美をくれます。

時にはそれが、勝利であったり
時にはそれが、敗戦の場合もあります。

仮に乗り越えなくても、同じように
勝利と敗戦があります。

「野球は人間がやるスポーツ」

「そこからつかむもの」であったり
「感動」には大きな差があると思います。

野球の底力を見せるには
人間の底力が必要であることを
石巻工の選手たちから、教えていただきました。

石巻の他の高校の関係者の方々にも
これをきっかけに、「石巻」の底力を見せれるように
夏の大会を目指して欲しいと思います。

北海道の女満別高校も敗退しましたが
震災後に支援野球物資を集めた時に、
たくさんの協力をいただきました。

私は、その思いを忘れません。
ぜひ、また夏に元気な姿を見せてください。

「野球」って、
「甲子園」って、凄いですね・・・♪

会員募集のご案内

NPO法人日本少年野球研究所では24年度の新規会員を募集しております。

私達の活動にご賛同いただき、ご協力いただけますようお願い申し上げます。
会費は一万円とさせていただきます。(平成24年4月~平成25年3月まで)

会員の皆様には

・きっかけ塾  http://mft.jp/blog/kikkakejuku201004

・サマーキャンプ  http://mft.jp/blog/2010summercamp

・個人レッスン  http://mft.jp/blog/school_saitama1

など、会員価格にてご案内させていただきます。

会員をご希望の方、お問い合わせは、メールにて
jbbl@mft.jp  までご連絡ください。

NPO法人日本少年野球研究所
代表 佐藤 洋

机上の理論・・・

技術の「感覚」は人によって違って当然です。
指導者が変われば、目的は同じでも
指導方法や表現は大きく変わります。

それが「普通」です。

あの人が言っている事が「正しい」とか
「間違っている」と言う会話は、日常茶飯事ですが

問題なのは、その選手にその指導方法が
「合っている」のか、「合っていない」のか・・・

そこが重要ではないでしょうか?

自分の言った通りやらない
素直じゃない
人の話を聞いていない

と、指導者が怒り、その子どもをベンチから外したり
試合に出さなかったり・・・

チームのルールやマナーを守らなかったら、それはわかりますが
技術的なことでの制裁は、大人の行動ではありません。

特に技術論に、「絶対」はありません。
「絶対こうしなくてはいけない」という言葉は
当てはまりません。

ただし・・・

自分の中の「絶対」を持っている選手は強いはずです。

その「絶対」をつかんだ選手は、自分で自分をコントロールする力が
芽生えてくるので、たくさんの「感覚」が生まれます。

ただ上から目線で、「こ~しなさい、あ~しなさい」の世界に慣れてしまうと
「感覚」のない選手に育ってしまいます。

能力の高い選手は「感覚」を持っています。
だからこそ、自分の考えを持っているので
それを生意気とレッテルを貼るのではなく
逆にその「感覚」を磨いてあげるくらいの
大人の度量が必要になってきます。

プロを目指す人間は、一癖も二癖もあるのが特徴です。

親の期待・・・

親子でありながらも
親には親の人生があり
子どもには子どもの人生があると思っています。 

親が子どもに依存し、子どもが親に依存していては
それは「自立」の妨げになってしまいます。

親が子どもに対し、過度に期待する光景は
少し違和感を感じてしまいます。

子ども達は、良い子であれば良い子ほど
親の期待に答えたいと思っています。

期待を裏切るような失敗をしてしまうと
ちょっとしたことであっても、自分を責めたり
自信を無くしてしまいます。

この姿は、親も見落としてしまいがちで
子ども自身も、あまり気が付かないので
後々大きな心の問題に発展してしまいます。

親は子どもを追い込むつもりはまったくないのに
子どもは、それが原因で挫折や無気力になってしまう危険性があり
非行に走ったり、荒れてしまったりするケースがあるそうです。

「そんな程度のことで・・・」と思えることでも
子どもにとっては大きな問題に発展し
学校に行きたくなくなったり、対人関係が思うように行かなくなり
命を捨ててしまいたくなるまで、追い込まれてしまいます。

「やって出来ること」
「やったって出来ないこと」

何でもかんでも、「頑張れ、頑張れ」
「やれば出来る」と言うわけではありません。

そこには、「出来ること」
「出来ないこと」の判断が必要です。

私達が、今を何とか生きていられるように
親がした失敗経験を、子どもにさせないように
強くこだわる必要はないように思います。

大人がした失敗経験は、生きていく上で
必要なことであり、大きな財産になっています。

仮に嫌なことだったとしても、マイナスイメージを引きずるより
プラスのイメージに転換して行った方が、運を引き寄せるはず・・・

その根拠は、野球を通じてたくさん経験しました。

「エラーしたあと」
「凡打したあと」

ここをどう考えるかによって、その後の結果が変わってきます。

レギュラーになれなかった
ベンチに入れなかった

すべて小さなことです。

子ども達が、コツコツ頑張ったことのプロセスを
認めてあげてください。

「自分磨き」を継続するために
「子どもに対する期待」は捨てる必要があります。

子供に対して「期待」を捨てることが出来た時
困った時に、親以外の人が手を差し伸べてくれて
真っ直ぐに成長することができるのではないでしょうか。

親が出来ること
親が出来ないこと

全て親がやるには限界があります。

「親の期待」は黄色信号です。

そのまま進むのか
それとも、ブレーキを踏むのかは自由で
運転している大人の判断が求められます。

親が果たせなかった夢を、子どもに託すのではなく
子どもには子どもの夢を、つかんでほしいと願っています。