月別アーカイブ: 2012年9月

本能のままに・・・

運動会・・・

「ずるさ」
「かしこさ」

ずる賢い子どもが、光輝いています!

 

本能のままに・・・

 

「要領の良さ」
「いい加減さ」

一見、悪い言葉のイメージですが
「一生懸命」と紙一重です。

教育や躾と称し
この「本能」を消しているような気がして
なりません(^^;)

リレーのバトンの受け渡し
三人四脚の足の合わせ方
大縄跳びなど…

「本能」をテーマにして見ると
手を抜いているようにも見えてしまいます。

みんな「一生懸命やってます」って
言うんだろうなぁ~

本能は「楽しさ」の先にあるような気がします!

見つからない答えを探す旅…

十人十色・・・

これは「良い」と思うような、やっと見つけたと答えでも
ある子どもにはあてはまり、ある子どもには
まったく使えない。

今日は上手く教えれた!
今日はダメだった!

その繰り返し…

同じ内容の授業をしても
自分、相手、場所、空気、体調などの「環境」によって
大きく異なる「流れ」が、この年齢になっても
悲しいかなつかめない。

「教える人」と「教わる人」

何となく見えてきたのは
私の仕事は、教える側(私)が
教わる側(子ども)に、スイッチを合わせること。

「教わる側」が「教える側」に合わせるのが一般的だが
このスタイルだと、自己満足の世界に
陥りやすいのではないか?

理解させることが目的なのに、そこに目が向かず
自分は100%伝えたという「自己満足の世界」

「私はこれだけやっているのに?」
「なぜできないの?」
「なぜやらないの?」

この想いこそ相手を思いやることのない
自己中心的な発想なのではないか?

自分の未熟さを、日々思い知らされる。

答えを見つける自信がないが
船出してしまった旅であり
もう後戻りはできない以上
船を止めるわけにはいかない。

「楽しく」

今ある答えは、
たったこれだけだから、笑える。

認識を変えない理由は何?

子ども達が「痛い」と訴えてくる時は
ほとんどが、我慢の限界を超えた時です。

チームの教育方針が「勝利」を目指していればいるほど
「痛い」と言えない空気が存在します。

まるで『プロ野球』のように、
「誰だって痛いところは、一か所や二か所あるのは普通だ!」
と言う考えで、子ども達を酷使して使い続けるのは
信じられない話ですが、この手の話を聞くのは
一度や二度のレベルではありません。

何か狂っています。

子ども達が「痛い」と言ってきたら
ほとんどが「酷使」であり、それは指導者の責任です。

なのに・・・

痛いと言ってきた選手に対し

「気合いが足りないからだ!」
「だましだまし投げろ!」

と言えるのが、私には理解できません。
なぜ先を見据えないのでしょう?
その子の将来は、今日明日の試合ではありません。

故障させてしまった責任は
まったくと言うほど皆無です。

「痛めたお前が悪い」
「お前は要らない!帰れ!」
と、なぜ言えるのでしょう?

「そこまで我慢させてしまったこと」
「痛いと言えない空気がチームにあること」

なぜ故障者が出た時に話し合えないのでしょうか?

子どもを守るべき大人が
子どもを痛めつけている現状に
気が付いていない大人が、あまりにも多すぎます。

「勝利」しか見えていないと
周りは見えなくなります。

「勝利」は、すべてを闇に葬ってしまいます。

「何が何でも勝てばいいんだよ」は
自己否定が出来なくなる「麻薬」で

これだけ子どもを痛めつけて、
平気で笑っていられる神経には
ただただ驚くばかりです。

子ども達は、「痛み」と「張り」の判断が
出来ません。

そんな時に「治療」が必要であり
専門の先生に診てもらったうえで判断することが
必要ではないでしょうか?

素人が、自分の判断で「投げろ」とは
あまりにも危険で、簡単に言えるセリフでは
無いはずです。

才能ある選手が、数多く野球から離れている現状に
危機感を感じます。

「考える力」を育てる・・・

暑さも和らいだとは言え、まだまだ残暑が厳しいようです。

グランドで…

試合中に、「一球一球」に対して指示を出す光景を見るのですが
どうも違和感を感じます。

これは私の考えであり、人に求めるものではありませんが
ツーアウト・ランナーなし…

この状況でも「サイン」を見る習慣は
何かチームにより、目的や意図があるのでしょうが
本来このケースで出すサインはありません。

もし、「セフティーバントのサイン」や
「普段からサインを見る癖をつける」目的があったとしても
それは、自分で「考えさせる」べき状況です。

打席で「一球一球」指示を出されたら
自分で考える時間を奪われてしまうので
子ども達は、何も考えないで
指示通りに動こうとはするのでしょうが
自分の考えはまとまりません。

ましてや、そこで「怒鳴り」が入ったら
「委縮」から動きを制御されるでしょう!

自分で考えれる状況で育っている子どもは

「なぜ、あそこでこうしたんだ?」

と問えば、根拠を答えてくれますが
指示を聞くことに、神経を費やす子どもの答えは
何も言えないか、言えても「すみません」の
言葉しか出て来ないでしょう。

大人は
「自分で考える」大切さを知っています。

「空気を読め!」
「判断力を磨け!」
「集中しろ!」
「自分のことは自分でやれ!」

そう言いながら、野球が
子ども達から「考える時間」を奪ってはいないでしょうか?

もし私が打席に立っていて、一球一球指示を出されたら

「お願いだから、黙っててくれ」と思います!

子ども達が「考える力」を養えるような言葉を
必要なポイントで、掛けてみてはどうでしょうか?