鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」に行ってきました。
特攻隊の最前線基地だった知覧(ちらん)
平均年齢21,6歳の若者たちが
自らの命と引き換えに守りたかったもの・・
会館には隊員の方々の
遺品や遺書などが飾られていました。
命の尊さ
戦争のむごさ、残酷さ
今までとは違う感情が
生まれる場所でした。
野球の試合を休んででも
友達や家族で足を運んでほしい場所です。
野球ができる喜びを感じるでしょう!
感謝の意味を知ることができるでしょう!
生きる意味を学べるでしょう!
「親が子どもの行く道を決める」
子どもの意志とは関係なく
または、本音を見逃してしまい
「あ~しなさい! こ~しなさい!」
と方向性を決めるのは、親の役目なのだろうか?
子どもの一週間のスケージュールを親が決め
子どもは自分の意志とは関係なく
その通りのスケジュールをこなす毎日!
塾の成果は???
スクール生に質問をしてみました。
「親に言いたいこと言える?」
「こ~したい! それは嫌だ!って言える?」
子どもたちの答えは
『言えま~す!!!』
その中に一人だけうつむいたままの小学生がいました。
聞くと、自由な時間が全くなく
「友達と遊ぶ時間がない」とのこと!
良かれと思って子どものために頑張る親。
子どもの人生は子どものもの!
親は親、子は子!
どうすれば気づくのでしょう?
子どもの顔を見るたびに、
涙が出そうになってしまいます。
「教える」と言う分野では
どんなに優れた指導者でも
「その一回だけで」
全てを伝えることは
簡単ではありません。
しかし教えてもらう側は
当然「その一回」を期待します。
教材などの広告に
「あなたも140キロのボールを投げれる」
「あなたもホームランを打てる」
と言った、高額な教材が売れているそうですが
そんな広告の言葉の通りになる教材は
見たことがありません。
もしその言葉が真実ならば
即効性のあるものは、リスクを伴うものです。
逆に、経験においては
「その一回」で大きく変化する可能性を秘めています。
だからこそ「失敗」と「楽しい」は
子どもの成長においては、必要な経験であり
失敗を繰り返しながら
時間を掛けて育てる「急がば回れ」が
最善の道だと思います。
子どもをどう育てるのか・・
それは保護者の責任なので
第三者が口を出すことではありません。
しかし、
「親にしか見えないもの」
「親には見えにくいもの」
が存在します。
だからこそ、今流行りの
「第三者の目」の意見に
耳を傾ける必要があると思います。
過去の例から、気になるタイプの子どもがいます。
「簡単なことが伝わらない」
「日々の成長が見えにくい」
この2つのタイプには原因があります。
・親が指導に口を出し過ぎる
・怒られてばかり
の環境の中にどっぷりと浸かっています。
子どもにとっての親の言葉は絶対です。
このタイプの子どもは無意識のうちに
親の言うことしか聞けなくなってしまい
怖いほど無意識で、すべてを受け入れてしまい
反発する力さえ失うのです。
親の言うことを聞かないのが一般的で
そこには自分の意志があり
それも成長過程で必要なことです。
グランドで怒られ
家に帰って怒られ
怒られてばかりでは
野球が好きになるはずがありません。
「上手くなりたい気持ち」
「反発する力」は、親が奪ってしまい
そのことに親は、「子どものため」と
一生懸命なので気が付きません。
その反面、外に向かって「反発」する場合が
あるのも事実です。
子ども自身も親の願い・期待を知っているので
本音を親や第三者に打ち明けることは困難です。
「優勝目指して頑張るぞーーー!」
「次は絶対勝つぞーーー!」
「レギュラーを取るぞーーー!」
これは子どもが言うのであれば仕方がありませんが
大人が言う言葉ではありません。
異変を感じた子どもに
「どうした~?」
「毎日怒られてばっかりか~?」
すると、突然泣き出す子ども・・
『野球をやめたいです!』
『友達と遊ぶ時間がありません!』
親はまったく子どもの心を知りません。
すべて親があてがった環境の中で
子どもの心は限界に近付いて行きます。
親は子どものために必死なのに
子どものためになっていないのが現状です。
子どもは、「親の所有物」ではなく
子どもの人生は、子どものためのものです。
もっと自由に、のびのびと
腕白でもいい、逞しく育って欲しい!
そんな昭和の言葉を思い出しました。