認識を変えない理由は何?

子ども達が「痛い」と訴えてくる時は
ほとんどが、我慢の限界を超えた時です。

チームの教育方針が「勝利」を目指していればいるほど
「痛い」と言えない空気が存在します。

まるで『プロ野球』のように、
「誰だって痛いところは、一か所や二か所あるのは普通だ!」
と言う考えで、子ども達を酷使して使い続けるのは
信じられない話ですが、この手の話を聞くのは
一度や二度のレベルではありません。

何か狂っています。

子ども達が「痛い」と言ってきたら
ほとんどが「酷使」であり、それは指導者の責任です。

なのに・・・

痛いと言ってきた選手に対し

「気合いが足りないからだ!」
「だましだまし投げろ!」

と言えるのが、私には理解できません。
なぜ先を見据えないのでしょう?
その子の将来は、今日明日の試合ではありません。

故障させてしまった責任は
まったくと言うほど皆無です。

「痛めたお前が悪い」
「お前は要らない!帰れ!」
と、なぜ言えるのでしょう?

「そこまで我慢させてしまったこと」
「痛いと言えない空気がチームにあること」

なぜ故障者が出た時に話し合えないのでしょうか?

子どもを守るべき大人が
子どもを痛めつけている現状に
気が付いていない大人が、あまりにも多すぎます。

「勝利」しか見えていないと
周りは見えなくなります。

「勝利」は、すべてを闇に葬ってしまいます。

「何が何でも勝てばいいんだよ」は
自己否定が出来なくなる「麻薬」で

これだけ子どもを痛めつけて、
平気で笑っていられる神経には
ただただ驚くばかりです。

子ども達は、「痛み」と「張り」の判断が
出来ません。

そんな時に「治療」が必要であり
専門の先生に診てもらったうえで判断することが
必要ではないでしょうか?

素人が、自分の判断で「投げろ」とは
あまりにも危険で、簡単に言えるセリフでは
無いはずです。

才能ある選手が、数多く野球から離れている現状に
危機感を感じます。

「考える力」を育てる・・・

暑さも和らいだとは言え、まだまだ残暑が厳しいようです。

グランドで…

試合中に、「一球一球」に対して指示を出す光景を見るのですが
どうも違和感を感じます。

これは私の考えであり、人に求めるものではありませんが
ツーアウト・ランナーなし…

この状況でも「サイン」を見る習慣は
何かチームにより、目的や意図があるのでしょうが
本来このケースで出すサインはありません。

もし、「セフティーバントのサイン」や
「普段からサインを見る癖をつける」目的があったとしても
それは、自分で「考えさせる」べき状況です。

打席で「一球一球」指示を出されたら
自分で考える時間を奪われてしまうので
子ども達は、何も考えないで
指示通りに動こうとはするのでしょうが
自分の考えはまとまりません。

ましてや、そこで「怒鳴り」が入ったら
「委縮」から動きを制御されるでしょう!

自分で考えれる状況で育っている子どもは

「なぜ、あそこでこうしたんだ?」

と問えば、根拠を答えてくれますが
指示を聞くことに、神経を費やす子どもの答えは
何も言えないか、言えても「すみません」の
言葉しか出て来ないでしょう。

大人は
「自分で考える」大切さを知っています。

「空気を読め!」
「判断力を磨け!」
「集中しろ!」
「自分のことは自分でやれ!」

そう言いながら、野球が
子ども達から「考える時間」を奪ってはいないでしょうか?

もし私が打席に立っていて、一球一球指示を出されたら

「お願いだから、黙っててくれ」と思います!

子ども達が「考える力」を養えるような言葉を
必要なポイントで、掛けてみてはどうでしょうか?

線引きは難しいが・・・(^^;)

学校から保護者あてに送られてくる「お便り」は
きめ細かく、先生方の

「万が一がないように…」

その配慮は、本当にありがたいと思います。

しかし、私のようなタイプの偏屈者は
一応すべてに目を通す作業はするものの

「本当に必要な部分」という視点から見ると
保護者からクレームがあった場合の

「その紙に、書いてあります」と言う
保険の匂いがプンプンします。

電気製品などの取扱説明書を見ると
すべて読み切れないほどの注意書き。

「企業を守るため」には、避けて通れない道で
常識だと言われればそれまでなのですが
「書いてある」と言う発想が、気になるところです。

学校や教育の現場が、この発想だと
親も、子どもも「考える」という作業をしなくなります。

「言われたことしかやらない」
「想像力がない」
「観察力がない」

自分で考えれば簡単なことであっても
なかなか答えを出すことができなくなります。

小さなことの積み重ねが
今の現状を生んでいるとすれば

今までやってきたことは「良かれ」と思って
積み重ねてきた常識が、「合っていない」と言う事。

解らなかったら聞けば良い。
しかし、最終的な判断は

「自分で決める」

そこがポイントであり
失敗の矢印が「先生」に向けば
クレームとなってしまう。

先生も育たない。
親も育たない。
生徒も育たない。

全て説明したり、与えるのではなく
「自分で考える割り合い」を生活の中で
増やす必要があると思います。

私は、スクールやレッスンに来た子ども達に
「どうだい?」と聞きます。

ある子どもは、言葉に詰まり黙り込み
ある子どもは、「何がですか?」と言い
ある子どもは、状況を察し、バッティングの調子や
試合での出来事を報告してくれます。

「どうだい?」

に答えはありません。
何でも考えて、自由に答えれば良いのですが
子ども達にとってな「難題」だそうです(笑)

最近、スマートフォンに変えました。
今までと違い「説明書」にあまり多くのことが
書かれていないので、わからないことだらけで
悪戦苦闘しています(^^;)

聞いたり、調べたり…
結果的には、その方が「覚える」と
自分に言い聞かせているのですが
これも遠い道のりになりそうです。

お宝発見・・・♪

巨人軍のキャンプ地の宮崎…

当時、裏方さんとして大変お世話になった下地さん。
もうお亡くなりになったのですが
その娘さんから、写真が届きました。

震災後に、グラブ、バット、ボールを探している時に
見つけたそうです。

「お父さんの宝物。今は、私の宝物です!」

そう言ってもらいました。

おそらく、25年前のバッティンググラブですが
新品同様で、ビックリしました。

ありがとうございます♪
本当に嬉しい出来事でした。