修行僧さんからいただいたコメントにあった
『凡事徹底』という言葉
当たり前のことを当たり前にやるのではなく
当たり前のことを人には真似できないほど
一生懸命やる。
平凡を積み重ねることにより
非凡になる。
「人には真似できないほど・・・」
これだぁーーーーーーーー!!!
あの名曲
♪ もしもしカメよ カメさんよ~ ♪
の歌で有名な「ウサギとカメ」のお話。
ある時・・・
ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは
山のふもとまで、かけっこの勝負を挑んだ。
かけっこを始めると、予想通りウサギはどんどん先へ行き
とうとうカメが見えなくなってしまった。
ウサギは少しカメを待とうと、余裕綽々で居眠りを始めた。
その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは
山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
【教訓】
過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。
また、能力が弱く、歩みが遅くとも脇道にそれず
着実に真っ直ぐ進む事で、最終的に大きな成果を得ることができる。
「ウィキペディア ウサギとカメより抜粋」
「頑張ることの大切さ」であったり「あきらめない精神」を学べる
古くから伝わる童話です。
才能はあっても、いいかげんにやっていれば足元をすくわれる。
才能はなくても、真面目で辛抱強い人は、才能がある人に勝つ事もある。
このお話は、道徳的には素晴らしい話であることは間違いありません。
その一方で
「出来ること」と「出来ないこと」
「攻めること」と「逃げること」
「押すこと」と「引くこと」
常々、「頑張り過ぎない」ように子ども達に話をしているので
そこには「判断」が必要だと思います。
この点から、「ウサギとカメ」の話を偏屈に考えると・・・
この勝負をそもそも「カメ」は「ウサギ」に
戦いを挑んで良かったのか?
「カメ」が勝ちに行くならば、陸ではなく
得意な泳ぎで「海」が良かったのではないか?
試合中に寝る人はいるだろうか?
などなど、違う角度から物事をとらえてしまう
素直さのない私です・・・(^^;)
常に「がんばれ、がんばれ」と言う教えは
野球少年達にとっては
肘・肩が痛くても、休めないなど、間違った解釈をしてしまいがちです。
「罪悪感」であったり「迷惑」という観点から
頑張りすぎる傾向が、最近の子ども達には見受けられます。
教育が行き届いている子どもほど
頑張り過ぎてはいないでしょうか?
今の子ども達に欠けているのは
「要領の良さ」
「ずる賢さ」
ただ、高校野球を観ていると
露骨にキャッチャーの動きを覗き込む選手がいます。
これは「ずるさ」だけで「賢く」はありません。
逆に「正々堂々と」の本質を知らないので
チームの指導者も注意しません!
勝てれば何をしても良いという訳ではなく
戦い方が求められます。
判断力を身に着けるために
野球から学べることはたくさんあると思います。
「出来ることを精一杯、コツコツ努力したい」私は
戦いの場を、どうやって「海」に持ち込むかを考える
「カメ」でありたいと思います。
「ウサギとカメ」は、本当に素晴らしいお話です。
誤解がありませんように・・・(^^;)
テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手が
シアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューを果たしました。
注目はダルビッシュ対イチロー。
この戦いは、日本はもちろん、全米でも注目のカードになっているそうです。
そんな中、川崎選手がスターティングメンバーに名を連ねました。
この舞台に立つことは、簡単ではありません。
招待選手としてキャンプに参加し、中間飛球の練習の際に
ライトにいないイチロー選手をイメージし
「イチ!イチ!」と、大きな声で、連繋プレーの練習をしていました。
「イメージしたとおり」
それが現実になりました。
川崎選手のプレーを観察していると
少年野球の子ども達にも、真似をして欲しい点がたくさんあります。
とにかく野球を楽しんでいます!
守備では、投手にも激励の大きな声を掛けています。
野手同士でも、アウトカウンや守備位置の確認を
大きなゼスチャーで行っています。
ファーボールの際に、バットを大切に置いていきます。
カバーリングを丁寧に行っています。
そして、全力疾走!
ひとつひとつの行動が、観ていて楽しくなってしまいます。
もちろん技術も素晴らしいのですが
川崎選手の「野球へ対する取り組み」は
子ども達の「見本」になるのではないでしょうか。
それは日本でのプレースタイルと、何ら変わりなく
アメリカでも同じ行動をしているところに
彼の凄さがあります。
今日のダルビッシュ投手の内容は
あまり良い内容・結果とは言えませんでしたが
降板した際の、観客のスタンディングオベーションは
鳥肌が立ちました。
「歓迎の気持ち」
「今後への期待」
推測ですが、そんな思いがテキサスのファンに
あったのではないでしょうか?
子ども達にこそ、結果が出なくても
怒鳴り散らすのではなく、今後に期待すべく
励ませるような大人の振る舞いを
ベンチにいる人も、スタンドにいる人もして欲しいと
願ってやみません。
さぁ、試合の結果はどうなるのでしょうか?
どちらが勝っても、「野球」は楽しまないと損です。
関係者からの喜ばしい報告は、心が晴れ晴れしますが
逆のパターンも少なくありません。
「聞く話」は双方から聞く必要があります。
それぞれに言い分はあると思うのですが・・・(^^;)
怪我で休んでいる子どもが
「気合いが足りない」と監督から蹴られたそうです。
何でも、
「チームの気合いが足りないのはお前のせい」
と、言われたらしいのですが・・・
怪我をしてしまった子どもに対し
この叱咤激励?は
小学生に使う言葉なのか、ちょっと疑問です。
怪我を防げなかったのか?
兆候を見落としていなかったのか?
肩・肘を痛めるのは、全て指導者の責任ではありません。
指導者半分、選手半分です。
「成長痛」であれば、致し方ありません。
ただし、指導者の役割として
選手の異常を「見つける作業」
怪我の回復を「見守る作業」
選手の報告を「認める作業」
が必要です。
「痛み」がある以上
あるいは「痛い」と言っている以上
無理をさせることは出来ません。
確かに「気合い」の世界はありますが
子どもが、「痛み」を乗り越えるために
この魔法を使うのは、まだまだ先です。
一番早くても、高校3年生の最後の夏・・・
ここまで、この魔法は使ってはいけません。
指導者は、キャッチボールの大切さを伝え
少しでも良いフォームで投げられるように
勉強する必要があります。
レッスンに来る子ども達の多くが
「ボールの握り」を知らず
「真っ直ぐに」立てない子どもがほとんどです。
「気合い」より「基本」が先です。
子どもが動かないのは、「子どものせい」ではなく
何か動かない原因があります。
その原因の大半が
子どもの「やる気」を、大人が奪っています。
「自分磨き」は、他人に求めるものではなく
あくまで矢印は、常に自分を向いています。
そうしないと「あの手この手」が
引き出しから無くなってしまいます。
映画ドラえもんの主題歌
福山雅治さんの「生きてる生きてく」の歌詞です。
深いなぁ~(^^;)
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不思議なものだ 子どものころは
大人になんて なれないのに
大人になれば「ときめく」だけで
いつでも子どもになれる
いままで生きて 出した答えは
正解よりも 間違いの方が多いよ
僕は間違いながら
大人になって来たんだ
こんな僕の人生の いい事や駄目な事が
100年先で頑張ってる遺伝子に
役に立てますように
いまを生きてる
いままで人を 好きになって
傷つけた事 よく覚えている
伝える事や 判り合うって
好きになるほど難しい
こんな僕の青春や 傷跡や 甘酸っぱさが
100年先で恋をしてる遺伝子に
勇気になれますように
今日を生きてく
失敗とか後悔から
覚悟することを学んだ
逃げられない苦しみに 悲しみに勝つために
大きな夢をひとつ持っていた
恥ずかしいくらい バカげた夢を
そしたらなぜか 小さな夢が
いつのまにか叶ってた
そうだ僕は僕だけで 出来てるわけじゃない
100年1000年前の遺伝子に
誉めてもらえるように いまを生きてる
この生命で いまを生きてる
今日も生きてく