大人でも子供でも当てはまる話だが・・・
一人の人が個人的に注意を受ける。
すると、
「あいつが怒られているんだから、俺には関係ない!」
そんな思考の人がいる。
これは弱い組織であり、弱いチームの典型の思考。
「自分に置き換えて」
そんな発想には至らないので
また同じ失敗が起こる確率は高くなる。
そして、上からの支持が、チーム全体に行き渡らない。
徹底できるはずもない。
一人の子どもに指導する・・・
その近くにいる子どもが
「何を教えているんだろう?」
そこに興味が持てる子どもは、野球が大好きである。
野球教室でよく見る光景で、いまさら驚くことはないが
指導している子どものチームの指導者が
目も向けず、耳も貸さず、その場から離れてしまう。
この「無関心」ほど、怖いものはない!
先日、中国で、子どもが交通事故にあって倒れているのに
何人もの大人が、気が付いているのに
無視して素通りして行く映像が流れた。
さすがに日本では・・・
そう思っているものの、このまま文明の利器が発達すれば発達するほど
個人の空間だけが広がり、周りが見えなくなって行くような怖さを感じる。
この予想が外れてくれれば、それに越したことはないのだが・・・(^^;)
困った人がいるのに無視。
いじめられている子どもがいるのに、教師が無視。
そんな事はあってはならない。
だからこそスポーツの位置づけは高い。
勝つことがすべてではなく、チームワークの大切さを
大人は子どもに教え続ける必要性を感じる今日この頃。
「試合に勝たないと意味がない」とか
「レギュラーじゃないと意味がない」とか
そんな声を聞くたびに、力が抜けてしまう。
大人のボールの追い方が、
打った打たないとか、捕った捕らないとか
その結果しか見ないので、
その前後にこそ重要なポイントが隠れているのに
その部分にも無関心すぎる。
自分の子どもが試合中ベンチに下がると
家に帰る人がいるとかいないとか・・・(^^;)
他人の子どもに無関心も罪が重い。