腹を据えた生き方・・・


4/9撮影

南三陸町長と久しぶりに電話で話をしました。

「亡くなった人
行方不明の人
悲しんでいる人がたくさんいる。
本当に気の毒だ・・・

だけども前を向いて生きるしかないんだ!
出来ることはやればいい!

悲しんでいる人達には俺が配慮する!
俺には野球の魂がある。

人生は一度きりだ!
思い切って生きて欲しい!
津波を経験した子ども達には
少しだけ度量の大きな人間に育って欲しい!
来年は、ぜひ南三陸町でキャンプをやってくれ!」

町を引っ張るリーダーの力強さを感じます。
町長は仙台商業高校野球部出身。
私は同じ野球人として尊敬の念でいっぱいです。

一日も早い復興をお祈り致します。

下働き・・・

スクール終了後の体育館のモップ掛けは、
最高学年の中学三年生が中心に行なっています。

「上級生ほど下働きをする」

高校時代からの教えを大切にしています。

グランド整備や野球道具の出し入れの際に
上級生が遊んでいて、下級生ばかりが働く姿を見ると
とても残念でなりません。

違う場所では、まだ一生懸命に仕事をしているのに
自分の場所が終わったからといって手を休めたり・・・

「お~い!そっちはどうだぁ~?」

『こっちに二人ぐらい来てくれ~!』

チームにこんな空気や意識があると
リーダーが育ちやすくなるでしょう。

下級生の時に、上級生から嫌な思いを受けたのに
上級生がいなくなると、「今度は俺達の番だ」と言い
同じことを下級生に繰り返す・・・(^^;)

本来は自分達が嫌な思いをしたのだから
「俺達の時代は止めよう」となるのが本当の姿!
伝統とは、良い物を代々受け継いで行くことだと思います。

あるチームでは
「指導者がグランド整備をする姿を見たことがない」と言います。

子ども達と一緒にグランド整備をすることも
少年野球の世界では、指導者の役割り分担のひとつだと
私は考えています。

プライド???

「子ども達の持っている能力を、最大限引き出す」

能力はみんなバラバラ。
その前に、体格も柔軟性もみんなバラバラ・・・
「ひとつの形」にこだわらず
いろいろな打ち方や感覚があって当然だと思います。

その子がバランスが良くなったり
いいボールを投げるようになったり
捕れるようになったり
打てるようになったり

前向きになったり
明るくなって元気になったり
野球が楽しくなったり
考え方が変わったり・・・

チームの指導者以外の人に教えてもらうのを
なぜ否定するのでしょう?

大切なのは、自分の指導方法に従うとか従わないではなく
「子ども自身が伸びること」

子どもが伸びたのに、自分の理論と違うからと言って
「試合に出さない」と言う判断は
あまりにも幼稚な考えだと思うのですが・・・

私は自分の子どもが、私以外の人から教わって伸びてくれたら
本当にありがたいなぁ~と思います。

子ども達と、どう向き合うか・・・

子供の成長には厳しさも大切である。

しかし厳しくすることと、グランドで怒鳴る行為は
まったく別の物なのに、履き違えている大人があまりにも多い。

厳しさとは何か?

声を掛けずに見守ることであり
自分でできることは自分でやらせることである。

子ども自身に気付かせ、それをいかに継続させるか。
そこに厳しさを私は求めたい。

被災地に入った皆さんが口を揃えて発言する言葉に
「励まそうと思って行ったのに、逆に勇気をもらいました」

そのことは、素晴らしい経験であり、世の中の人に伝えるべきだ。
お世話をする側の想いと、お世話になる側の感謝の想いが一致すると
そこに素晴らしい空気が生まれ、「お陰様で」が生まれる。
そこに気がつくと楽しさは倍増し、一気に加速して行く。

野球のグランドではどうだろう?

「子供たちに野球を教えてやっている」

おそらく何かのボタンが、ずれていると思う。
怒鳴っている人達は、間違いなく
「教えてやっている」が強調される。

子どもと純粋に向き合っている人達は
「教える立場なのに、子供たちから教えてもらう方が多い」
そこに気がつくことができる。

グランドで、大人も子どもも
「お陰様で」と本気で思えたら、そこに集まっている人達は
もの凄いスピードで成長するはずだ。

その環境を作るのも大人。
そして壊しているのも大人。

怒鳴られている子ども達は、何も悪くない。

思いっきりボールを投げればいい。
思いっきりバットを振ればいい。

それが「野球」だ!